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洋菓子職人が広めた日本のフランス菓子〜大山栄蔵

大山栄蔵 Ooyama Eizou プロフィール

1949年 埼玉県に生まれる。

1967年 高校卒業後香川栄養専門学校へ、同校で製菓助手を務める。

1969年 六本木「ル・コント」で修行

1971年 単身フランスへ。トゥールの「アンドレ・イケ」での修行の後、スイスのコバ製菓学校へ入学。再びパリに戻り、「モーデュイ」、「シャトン」「ホテル・プラザ・アテネ」など、フランスにて5年間修業を重ねる。

1977年 日本に帰国後。世田谷区成城に「マルメゾン」をオープン

1992年 世田谷区赤堤に「マルメゾン」2号店をオープン

2011年 世田谷区船橋に「マルメゾン」3号店をオープン

日本に、本場のフランス菓子をいち早く紹介した、マルメゾンからは、これまでに多くの有名パティシエが誕生。日本の洋菓子業界を牽引してきた第一人者である。

現在は、社団法人東京都洋菓子協会会長を務めており、聖徳大学客員教授、調理師学校などで後進の育成にも努めている。

~マルメゾン 大山シェフ 洋菓子職人が広めた日本のフランス菓子~

私が、パティシエになりたいと思った当時は、パティシエという言葉さえなく、製菓学校もありませんでした。ですから、自分が目指していたのは「洋菓子職人」でした。

まだ、フランスなどに留学するパティシエなどほとんどいなかったので、どうせやるなら本場で修行しようと、専門学校を出た後、六本木の名店「ルコント」で働きながら、必死にフランス語を勉強し、フランスへと修行に出ました。フランスでは、いくつかのケーキ店で働き、その後スイスで製菓学校に入りまたフランスに戻って、

最後は「ホテル・プラザ・アテネ」で働きました。フランス語を覚えていったことで、現地の労働許可書を取得してフランス人と同じ待遇で働くことができたのも、当時としてはとても幸運なことでした。

帰国後、1977年、当時はまだ珍しかった本格的フランス洋菓子店を成城にオープンしました。日本に帰ってきて、お店をはじめ感じたのは、「日本には、本当の意味でのお菓子文化が定着していないのだな。」ということ。

その当時多くのケーキショップは、味も油っぽかったり、とても甘くてもったりとしたケーキを販売しているところがほとんどで、私が修行してきたフランスやスイス等のお菓子とは、似て非なるものでした。

だから私は、「本当の洋菓子、フランス菓子を作り日本でお菓子文化を築きたい。お菓子好きを一人でも増やしたい。

自分の作ったお菓子を通して、日本に新たな食文化を発信していきたいとそのとき決意したんです。」そのためには、人まねをするのではなく、感性と技術を磨き、自分だけのオリジナリティを持ったお菓子を作ることが大切だ。そう考えて、それまでのフランス等の修行で教わったお菓子を、そのままのレシピで作るのではなく、日本の湿度や気候を考慮し、

口当たりや、風味など。日本人が持つ繊細な味覚を意識したお菓子を作っていきました。

いつも、材料にもとことんこだわりました。新しいアイデアを創作し、頭の中で考えた味を、忠実に再現するたびに思うのは、日本には本当に素晴しい生産農家さんがいるということです。上質で新鮮なフランス菓子を皆さんにお届けできるのも、昔なら輸入しなければならなかった、フルーツや原材料を、日本の生産農家さんが努力して、とても美味しく育て、作ってくださるからだと思っています。

まだ、パティシエという言葉さえない時代から、始まった私のお店からは、数々の素晴しいパティシエ達が巣立っていきました。彼らもまた、基本は忠実に守り、独創的なアイデアでフランス菓子を世界に広めてくれています。そのお陰でいまでは、日本発のフランス菓子を世界に発信できるようになったと考えています。

これからも彼らと共に、「洋菓子職人」として、発信し続けていきたいと思っています。

大山栄蔵

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